アラキ ラボ
題名のないページ
Home > 題名のないページ1  <<  11  12  13  >> 
  前ページ次ページ
  (2)「五経」から「四書」へ ―新儒学の成立と変貌

●「四書」とは?
 
儒学は、宋代以前の「五経」を聖典としていた時代から、朱子が登場して以降は、「四書」を重視する思想に大きく変った。
 それは宋代以降に、中央政府における高級官僚の登用試験とそのための勉強が、五経中心から、四書中心に変化していったこととも、大きく関っている。

 ちなみに中国政府による高級官僚の登用制度は、漢代には世襲の貴族を中心にした推薦制度が中心であり、推薦を受けたものが天子から口頭試問を受ける形式であった。
 それが魏晋南北六朝時代には、九品官人法という選抜官による推薦制に代わり、さらに、隋・唐時代から「科挙の試験」に合格しないと、高級官僚になれない厳しい制度にかわった。

 「科挙」という制度は、試験による人材登用という実力主義に大きく門戸を開いた反面で、試験問題の根拠となる儒学の勢力争いにも大きく貢献し、特に朱子学はそのおかげで、元、明時代を通して、儒学の主流の位置を占めるようになった。

 「四書」が「五経」を凌いで重要な役割を演じるようになった背景には、このような朱子学の儒学における主流化がある。朱子学は、四書のうちでも、まず「大学」を重要視し、参考書の使い方にも順序付けを行なった事に、大きな特徴がある。

●「大學」 ―「教育」による修身から天下平定の実現へ!
 「大學」は、もともと「礼記」の「大學章句」の1篇である。漢の武帝がBC150年に即位し、儒教を国教と定めて大學を設置したことにより、独立して一書となった。
 これにより沈滞していた儒教が勃興し、「大學章句」はその儒教教育の理念を示したものとして、BC430年ころ成立したとされる。その作者は不詳である。
 「大學」は、「礼記」の中にある全文で1750余文字の短い文章であるが、その内容は夏・殷・周3代における儒学世界の黄金時代における、大學教育のやり方を書いたものといわれる。特にそこには朱子学の本質的部分が内包されていることから、四書の冒頭に挙げられ、重視されることになったものである。

 朱子は言う。「学問は、必ず「大學」を先とし、次に「論語」、次に「孟子」次に「中庸」を学ぶ」朱子、語類巻14)と。つまり、四書の読み順まで記している。
 その理由は、「大學」の内容は順序・次第があり、まとまっていて理解しやすいことからきている。それに対し「論語」は充実してはいるが、言葉にまとまりがなくて、最初に読むのは難しい。また「孟子」は人心を感激・発奮させるが、教えとしては孔子からぬきんでてはいない。
 「中庸」は読みにくいので、3書を読んでからにすると良い、と朱子は書いている。(語類巻14)

 ▲「大學」冒頭の記述
 その「大學」の開巻、第1章の冒頭は次のような有名な文章で始まる。そして、この短文から全篇の梗概が分かり、更には、朱子学へのヒントもいろいろ見られる。

大學之道,在明明德,在親民,在止於至善。知止而後有定,定而後能靜,靜而後能安,安而後能慮,慮而後能得。物有本末,事有終始,知所先後,則近道矣。

<読み下し文>
大學の道は、明徳を明らかにするにあり、民を親しましむるにあり、至善に止まるにあり。止まるを知って後、定まるあり、定まりて後、よく静かなり、静にして後、よく安らかなり、安らかにして後、よく慮り、慮って後、よく得る。物に本末あり、事に終始あり、先後するところを知れば、即ち道に近し。

<解釈文>
大學で学ぶべきことは天から与えられた至徳を明らかにすることである。更に実践を通じて民衆が親しみあうようにすることであり、最高善の境地にふみとどまることである。踏みとどまるところを知ると、平静であるようになる。平静であるようになると、安らかになることができ、ものごとを正しく考えることができるようになる。物事を正しく考えることができると、最高善にとどまる目標が達成できる。ものごとには、根本と末端があり、始めと終わりがある。その始めと終わりを知れば、道に到達できるようになる。

 ここでは大學教育の目的は次の3つであるとする。

  1. 天から与えられた至徳を明らかにすること、
  2. 実践を通して民衆が親しみあうようにすること、
  3. 最高善の境地に踏みとどまること。

 この目的を達成するためには、はじめと終わりを明確にすべきであるとしており、その出発点、到達点、そしてプロセスが次に明らかになる。

古之欲明明德於天下者,先治其國;欲治其國者,先齊其家;欲齊其家者,先修其身;欲修其身者,先正其心;欲正其心者,先誠其意;欲誠其意者,先致其知,致知在格物。物格而後知至,知至而後意誠,意誠而後心正,心正而後身修,身修而後家齊,家齊而後國治,國治而後天下平。自天子以至於庶人,壹是皆以修身為本。其本亂而末治者否矣,其所厚者薄,而其所薄者厚,未之有也!此謂知本,此謂知之至也。

<読み下し文>
古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、まずその国を治む、その国を治めんと欲する者は、まずその家を斉(ととの)う、その家を斉へんと欲する者は、まずその身を修む、その身を修めんと欲する者は、まずその心を正す、その心を正さんと欲する者は、まずその意を誠にす。
その意を誠にせんと欲する者は、まずその知を致(いた)す、知を致すとは、物に致るにあり、物に致りて後に知致り、知致りて後に意誠なり、意誠にして後に心正し、心正しくして後に身修まる、身修まりて後に家斉う、家斉いて後に国治まる、国治まりて後に天下平なり。
天子より庶民にいたるまで、壹是(もっぱら? 壱に是?)、皆、身を修るをもって本となす、その本乱れて末治まるものはあらじ、その厚かるべきものを薄くし、その薄かるべきもの薄きは未だこれあらざるものなり。これを本を知るという、これを知に至るというなり。

<解釈文>
古き良き時代の聖人の徳を天下に明らかにしようと思う者は、まずその国を治めた。その国を治めようとするものは、まず国の基である家を斉えた。家を斉えようとするものはまずわが身を修めた。
わが身を修めようとする者は、まず自分の心を正した。自分の心を正そうとした人は、それに先立て先ず自分の思いを誠実にした。自分の思いを誠実にしようとした人は、それに先立ってまず自分の思いの本である自分の知能を十分に押し極めた。知能を推し極めるには、物ごとの善悪を確かめることである。
ものごとの善悪が確かめられてこそ、はじめて知能が押し極められて、明晰になる。知能が押し極められてこそ、初めて思いが誠実になる。思いが誠実になってこそ、初めて心が正しくなる。こころが正しくなってこそ、はじめて一身がよく治まる。一身がよく治まってこそ、初めて家が和合する。家が和合してこそ、はじめて国がよく治まる。国がよく治まってこそ、初めて世界中が平安になる。
そこで天子から庶民にいたるまで、同じように身を修めることを根本とする。その根本が乱れれば、天下、国家が治まることはない。
自分の力を入れるべきことを手薄にして、その手薄でもよいところが立派に出来ているためしはない。これを、根本を知るといい、「知に至る」ということである。

 この冒頭の文章は、朱子学のエッセンスとでもいえる重要な部分であり、大學教育の目的とその目的達成への目標が、「三綱領」、「八条目」として揚げられている。

 ▲「大學」の三綱領 ―大學教育の目的
 「大學」では、開巻の冒頭において、大學教育の目的は次の3つにあるとする。

 1.明徳を明らかにすること
  人間の本性には、あきらかな徳があり、それを明らかにする事が大學教育の目的であるとする。
 2.民を親しむようにすること。
 上下、あい親しむようにすることが、明徳に並ぶ大學教育の目的である。
 3.至善に止まること
 「至善に止まる」とは、中庸の言葉を借りると「善を選んで固執する」ことであり、仁・敬・孝・慈・信などの道徳的法則に従うことである。

 この3つを大學教育の目的として「三綱領」と呼んだ。そしてこの目的を達成するために、8項目の目標を明らかにしたものを「八条目」という。

 ▲「大學」が目指す8つの教育目標 ―「八条目」の壮大な教育計画
 「八条目」とは、次のようなものである。

  1. 天下を平定すること。
  2. 国を治めること。
  3. 家を斉えること。
  4. 身を修めること。
  5. 心を正しくすること。
  6. 意を誠にすること。
  7. 知を致すこと。
  8. 物に格(いた)ること。

 古代の理想的な時代の帝王は、初めから徳をもって国を治めた聖王であるから、天下を平定し国を治めるところから始まる。しかしそれ以後の時代においては、天子から庶民にいたるまで、教育は4から始まり、上へ遡ることになる。5から8は身を修める具体的なステップと考えると、この八条目は分かりやすい。

 そのため、天子から庶民にいたるまで教育の出発点は、4の「身を修めること」(=修身)になる。そのため戦前の日本では、小学校から「修身」という教科を設けていたほどである。そして「大學」では、この「身を修める」ということは、5~8を行うことであると解釈できる。

  1. 「自分の心を正す」(正其心)
  2. 「自分の思いを誠実にする」(誠其意)
  3. 「自分の知能を十分に推し極める」(致其知)
  4. 「物事の善悪をたしかめる」(物格而後知至)
 この4項目を満たすことが、「身を修める」ことであるといえる。

 その中でも特に重要なのが7,8の「知を致し、物に格(いた)る」という2行であり、朱子学のエッセンスともいうべき最も重要な概念である。
 7の「知を致す」とは、知識を得る事、識見に長ずることであり、8の「物に格る」とは、その達成方法を意味し、物事の原理を突き詰めて考えるということである。

 一言で「身を修める」といっても、具体的にはどのようなことをすればよいのか分からない。それをこのように具体的な4項目に展開した「大學」の教育理論の功績は、高く評価される。
 しかし「大學」では4項目に展開しただけで、特に具体的な方法について、なんらの説明も加えなかった。

 そのため、昔からこの7,8の2条については、いろいろな解釈が試みられてきており、70余家の説があるといわれるほどになった。(武内義雄全集、第4巻、48頁)
 つまり「知を致し、物に格(いた)る」とは、物事の道理を突き詰めて考え、正確な知識を得ることである。「大學」では、これを修身の目標の基礎においた。6の「意を誠にする」とは、情意に傾いた不安定な意識ではなく、正確な知識に支えられた自己意識を明確にすることである。

 8条目は、「知を致し、物に格(いた)る」事が、天下平定に繋がる教育目標の展開の筋道を明確にすることであった。しかしその目標の実現過程をたどっていくと、あまりにも「風がふくと桶屋が儲かる」式に見事な連鎖で展開され、完結している。
 そのため、現実がそのようにうまくいくか?ということが問題になる。

 それについては、非常に興味深い事例が日本にある。戦前、日本中の小学校には、薪を背負い、本を開いて読みながら山を下る少年・二宮金次郎の銅像が飾られていた。
 戦後になり多くの学校ではその像は撤去されたが、少なからぬ学校においては、今なお学校の校庭の片隅に存在している。

 この少年・二宮金次郎が読んでいる書物こそ、私の記憶では「大學」なのである。そして少年・金次郎は、「大學」から勉強を始め、身を修め、家を斉え、農学者・二宮尊徳となり、小田原藩の財政再建、つまり「治国」に成功した。
 その後は、うわさを聞いた多くの藩の要請にこたえて藩政改革を行い、そこの財政再建を行った。つまり天下平定につながったのである。
 まさに二宮尊徳こそは、「大學」のプログラムに従い、8から1までの実現に見事に成功した人物といえる

 また孫文は、有名な「三民主義」の「民主主義」の項で、大學の三綱領、八条目を引き、体系的な政治哲学と高く評価した。そして、外国の大政治家でもこれほどの見識に達した人はいないとして、その実行を呼びかけたことが知られている(第1章第6講)。
 その意味では、2千数百年前に作られた「大學」が提起した教育プログラムは、現代に十分に生きるほどの驚くべき内容を持っていたといえる。

●「中庸」 ―中国形而上学の最高峰
 「中庸」は孔子の孫・子思の作といわれるが、その真偽のほどは怪しい。戦国末期から秦漢の頃に作られたと見られている。「大學」と同様に、もともと「礼記」の一篇であったが、南北朝ころからは独立した一書として扱われてきた。

 題名の「中」とは、偏りのないこと、「庸」とは永久不変を意味し、天下の正しく変わることなき道理を説く書を意味している。
 この「中庸」は、朱子が「朱子学」を構築するに当たり考えだした「天人一理」の典拠とし、さらに四書の最後の到達点として設定した、中国形而上学の最高峰といわれるものである。そのエッセンスが、「中庸」の第1章の冒頭にあげられており、まずその部分を次に揚げる。

天命之謂性,率性之謂道,修道之謂教。道也者,不可須臾離也,可離非道也。是故君子戒慎乎其所不睹,恐懼乎其所不聞。莫見乎隱,莫顯乎微。故君子慎其獨也。喜怒哀樂之未發,謂之中;發而皆中節,謂之和;中也者,天下之大本也;和也者,天下之達道也。致中和,天地位焉,萬物育焉。

<読み下し文>
天の命ずる、これを性という、性に率(したが)う、これを道という、道を修める、これを教という。道なるものは、須臾(しゅゆ)も離るるべからざる也。離るるべきは道にあらざるなり、之ゆえに、君子はその賭けざるところを戒慎し、その聞かざるところを恐懼す。隠れたるより見(あら)わるるはなく、微(かすか)なるより顕るるなし。故に、君子はその独を慎しむなり。喜怒哀楽、これ未だ発(おこ)らざる、これを中という、発りて皆節に中(あた)る、これを和という。中なるものは天下の大本なり。和なるものは、天下の達道なり、中和をいたして、天地位し、万物育つ。

<解釈文>
天が人間に命じたものを性という。この本性に従って行動することを道という。この道を具体的な規範として示したものが教である。道は、片時も離れてはいけないものであり、離れてよいものは道ではない。それゆえ君子は、眼に見えず耳にも聞こえないこの道に対して常に戒慎し、離れないように心がける。暗冥の中、微細のことほど明らかなものはない。そのため君子は自分の心の動きを深く内省する。喜怒哀楽の感情がまだ発動しない静寂な状態、これを中という。これが発動してもすべて節度にかなう事を和という。
中こそは天下の大本であり、和こそは天下の達道である。中と和を極致に達せしめた時、天地の秩序は定まり、万物は生成発展する。
(解釈は、「中国の古典名著・総解説」自由国民社、89頁を参考にした。)

 この中庸の冒頭の1章は、中国哲学の思惟の歴史における頂点を占めるといわれる、重要かつ有名な部分である。「天の命ずる、これを理という」と書き換えたら、朱子学の原典として通用する。また朱子学の本質である「道統」=道の伝統についての見解も提起している、重要な部分である。
 中庸の「中」とは、喜怒哀楽のまだ発しない情の本体としての「性」(人間性の本質)をしめすものであり、それは天から与えられた物であるから、天の本質でもある。つまりそこには宇宙万物の究極的原理が述べられているといえる。

 次に、第19章の後半部分(=礼記の第8章のはじめ)の道の記述をあげる。

天下之達道五,所以行之者三,曰:君臣也,父子也,夫婦也,昆弟也,朋友之交也,五者天下之達道也。知仁勇三者,天下之達德也,所以行之者一也。或生而知之,或學而知之,或困而知之,及其知之,一也;或安而行之,或利而行之,或勉強而行之,及其成功,一也。”

<読み下し文>
天下の達道は五、以ってこれを行なう所以のものは三、曰く、君臣なり、父子なり、夫婦なり、昆弟なり、朋友の交なり、五は天下の達道なり。知仁勇の三者は、天下の達徳なり、以ってこれを行なうところは一なり、あるいは生れながらにして之を知り、あるいは学んで之を知り、あるいは困(くる)しんで之を知る。その之を知るに及ぶは一なり。あるいは安くして之を行い、あるいは利にてこれを行い、あるいは勉強しててこれを行なう、その成功に及ぶは一なり。

<解釈文>
天下の達道(世界中に通用する道)は5つある。これを実現するための達徳(最高の徳)は3つある。前者は、君臣、父子、夫婦、昆弟、朋友の交りの5つであり、後者は、知仁勇の3つである。しかしこの実践の根元は、一つである。ある場合は、生れながらにして之を知り、ある場合は学んで之を知り、ある場合は苦しんでこれを知る。知るようになるのは一つである。ある場合は容易に行い、ある場合は利により之を行い、ある場合は勉強で之を行なうが、成功に及ぶのはひとつである。

  5つの達道とは、一般的な言い方に従えば、五倫の道であり、それを実践するためには3つの徳(知仁勇)があり、誰でも平等に「理」として身に着けている。この「理」が実践されることにより、「徳」になる。これが「達徳」である。
 朱子学において理そのものは徳ではないが、「理」に基づいて実践されることにより「徳」になる。さらに、3つの達徳より根本的なものが存在しており、それが「誠」である。程子の言葉を借りれば、「誠とは、この3者を誠実ならしめること」であり、下に述べる20、21章に登場してくる。

第20章(礼記第9章)には次のように書かれている。

子曰:“凡為天下國家有九經,曰:修身也,尊賢也,親親也,敬大臣也,體群臣也,子庶民也,來百工也,柔遠人也,懷諸侯也。
(途中省略)
凡為天下國家有九經,所以行之者一也。”

<読み下し文>
子曰く、凡そ天下国家をなすに九経あり、曰く、修身也,尊賢也,親親也,敬大臣也,體群臣也,子庶民也,來百工也,柔遠人也,懷諸侯也。
凡そ天下国家をなすに九経あり、以ってこれを行なう所以のものは一なり。

<解釈文>
孔子の説では、天下国家を治めるには9つの原則がある。それは、修身(身を修める)、尊賢(賢者を尊ぶ)、親親(親族と親しむ)、敬大臣(重臣を敬う)、體群臣(群臣と心を合わせる)、子庶民(農民をわが子のように愛する)、來百工(工民のこころをつかむ)、柔遠人(遠国の民に暖かくする)、懷諸侯(諸侯を服させる)ことである。しかしその実践方法の根元は一つであり、それが「誠」である。

 ここに「大學」の八条目が、政治における9つの経常的な原則を孔子が語った説として、少し違った角度から述べられている。このうちの3つ、修身、尊賢、親親は大學に一致しており、身を修めれば道が立つという筋道を、基本的には大學と同じ角度から述べている。

“(前段省略)。
誠者,天之道也;誠之者,人之道也。誠者不勉而中,不思而得,從容中道,聖人也。誠之者,擇善而固執之者也。
(途中省略)
人一能之己百之,人十能之己千之。果能此道矣,雖愚必明,雖柔必強。”

<読み下し文>
誠なるものは、天の道なり。これを誠にするは人の道なり、誠なる者は勉めずして中(あた)り、思わずして得る、従容として道に中るは聖人なり、之を誠にする者は、善を選びて固くこれを執る者なり、(途中省略)人一度(たび)にしてこれをよくすれば、己はこれを百度し、人十度にしてこれをよくすれば、己はこれを千度す。果(もし)この道をよくすれば、愚といえども必ず明に、柔といえども必ず強ならん。

<解釈文>
誠は、天の道であり、これを実行するのが人の道である。至誠の道は、休むことなく活動し、考えることなく万物を生み出す。ゆったり落ち着いて人の道を実行するのが聖人であり、誠の道を実行する者は、善を選んで、しっかりとそれを守る者である。(途中省略)ある人が、一度うまく実行できたら、自分は百度実行し、ある人が10度うまく出来たら、自分は千度実行する。もしこの道がうまく実行できれば、愚かなものも賢者になり、弱者も必ず強者になるであろう。

 「誠」は、孟子により仁義を行なう方法として取り上げられた概念である。たとえば、孟子には「誠は天の道なり、誠ならんと思うは人の道なり」(離婁下)とあり、それが上記の中庸においては、「達徳」のエッセンスとして取り上げられた。
 「誠」は新撰組の旗印ともなり、日本では人間の心のありかたを示す言葉であるが、孟子と中庸ではそれより広く、かつ天人を結ぶ重要な概念になっている。

 つまり「誠」は「人の道」であると同時に、「天の道」でもあり、「誠」を通じて天人が相関する重要な概念となる。さらに中庸の第1章とあわせると、「誠」は天命の内在として本性=理そのものとなり、朱子における「天理の本然」としての「天の働きとしての究極の道」になる。
 そして自分を完成する内面的な働きとしての「仁の徳」は、物事を完成するという外面的な働きとしての「知の徳」が総合されて「誠の働き」が完成する、というのが「中庸」の思想になる。(岩波文庫「大學・中庸」206頁)

 このように考えると、中庸における「誠」は、次にのべる朱子における「愛の理」と同じものになる。とすれば、次の3.の表題は「『仁』の概念は、『愛』から『誠』に代わった」となり、日本人としてはより分かりやすくなる。
 しかし、朱子学では「誠」ではなく「理」という哲学的な言葉を選んだため、難しい理論になった。ただ「大學」では、「誠」は「意を誠にする」という言葉で使われており、中庸とは異なる上に、そのような「誠」は王陽明に多用されることになる。それが新撰組の旗印になったと思われるが、それについては後に述べる。






 
Home > 題名のないページ1  <<  11  12  13  >> 
  前ページ次ページ