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彷徨える国と人々
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  (3)北朝鮮による拉致事件

●日朝国交正常化の交渉と拉致問題
 韓国でも戦後初期の李承晩政権は、極端な反日政策をとっていた。しかし60年に張勉政権が成立すると、直ちに日韓関係の正常化に取組み始め、それはさらに61年に成立した朴正熙による軍事政権に引き継がれた。
 そして65年に締結された日韓基本条約により、日韓関係は正常化にこぎつけることに成功した。それは戦争終結から20年後のことであり、これにより日本の資本や資金は韓国に大量に流れ込んだ。
 それから10年をへた70年代の後半の韓国経済は、北朝鮮経済を凌駕して「漢江の奇跡」といわれる発展をとげた。

 これに比べて北朝鮮と日本の国交正常化は非常におくれていた。戦後45年をへた90年代に入り、ようやく90年9月に自民党と社会党の北朝鮮訪問団が北朝鮮を訪問して、朝鮮労働党との間で3党共同宣言を出すところまで来た。
 このときの「宣言」において、日朝国交正常化の交渉を行なうことが合意されており、その交渉が91年1月から始まった。その会談の経緯は、図表-4のようになる。

図表-4 日朝国交正常化交渉の経緯
時期 開催場所 テーマ 交渉の内容と結果
第1回 91.1 平壌 過去の清算 北朝鮮は日本に補償と賠償を求め、日本は北朝鮮と交戦状態ではなかったため補償、賠償の不要を主張。
第2回 91.3 東京 北朝鮮の管轄権 過去の条約や協定は、国際法上、日本は有効、北朝鮮は無効を主張。
第3回 91.5 北京 国交樹立と李恩恵問題 北朝鮮はまず国交樹立を主張、日本は李恩恵の事実関係の明確化を求める。
第4回 91.8 北京 過去の清算 日本は過去の請求権には事実関係の客観的資料を要求。李恩恵は実務者レベルで協議に合意。
第5回 91.11 北京 核疑惑と日本人配偶者の消息 日本は核疑惑解消のためIAEAの査察受け入れを要求、北朝鮮は交渉で論ずべき問題ではないと主張。
第6回 92.1 北京 従軍慰安婦問題 日本は謝罪と反省の意を表明。北朝鮮は謝罪と補償を要求。
第7回 92.5 北京 核疑惑と従軍慰安婦問題 日本は核疑惑を払拭しないと国交正常化はないと主張、北朝鮮は再処理施設はないと述べる。
第8回 92.11 北京 李恩恵問題 李恩恵問題で日本は消息調査を要求。北朝鮮は無関係として会談は中断
第9回 00.4 平壌 交渉のすすめ方 日本は拉致問題とミサイル開発問題が正常化交渉の前提と述べる。北朝鮮は過去の清算を優先させ、拉致の事実はないと主張
第10回 00.8 千葉県木更津市 過去の清算 日本は過去の清算法式について国交正常化時の経済協力法式を主張。拉致問題は調査を要求。北朝鮮側は存在しない問題と主張。
第11回 00.10 北京 過去の清算と拉致問題 過去の清算について合意しないまま終了。拉致問題も平行線。
第12回 02.10 クアラルンプール 過去の清算と拉致問題 北朝鮮は経済援助を中心に議事を求めたが拉致、核問題に進展なく終了。
(出典) 平間洋一、杉田米行「北朝鮮をめぐる北東アジアの国際関係と日本」明石書店、18-21頁から作表。

 図表-4をみると、日朝の国交正常化交渉は、91年から10年11回の交渉を重ねながらも、日本側は核疑惑と拉致問題、北朝鮮側は「過去の清算」の補償と賠償にこだわり、交渉は平行線を辿ってきた。
 さらに、02年9月の日朝首脳会談の翌月に開催された第12回会談も、従来の主張の繰り返しに終わり、正常化交渉はそこから中断されている。

 その間、北朝鮮側は一刻も早く日本との国交正常化を実現して、日本の資金や資本を北朝鮮経済に流入させる必要があったと思われる。それにも拘らず、核開発と拉致問題の解決に応じていないことは、それほどこの2つの問題は、北朝鮮にとって譲れないものである事を示している。
 このうち核問題については、2007年2月の6カ国協議で一応の結論を得たが、日本は拉致問題の解決を日朝の国交正常化交渉の前提においているため、交渉は完全に暗礁に乗り上げている。

 拉致問題を明確化することは、北朝鮮による対韓政策の本質を世界に公開することであり、それにより北朝鮮の国家戦略が崩壊する危険性がある。
 しかしそれになんとか政治的決着をはかるために、2002年9月17日の金正日と小泉首相の日朝首脳会談において、従来はその事実さえ認めなかった拉致問題を、金正日自身が認めて謝罪をするところまで譲歩した。

 それにより北朝鮮側は、拉致問題の政治的決着をはかることができ、さらに日朝国交正常化を進展させることができる、と考えたようである。
 ところがその結果は、日本の国内にくすぶってきた拉致問題に、逆に一気に火をつける結果になった。そのため2002年9月17日以降、拉致問題は完全に硬直化した状態のまま現在に至っている。

●拉致被害者の実態
 まず2007年春の段階で、北朝鮮による拉致被害者の実態そのものが全く分かっていない。北朝鮮は、2002年9月17日に拉致被害者について発表し、その後に、生存者と家族を日本に帰国させたことにより、拉致問題はすべて政治的に決着したとしている。
 ところが日本側は、2002年9月17日に北朝鮮が発表した拉致被害者の生存、死亡の情報は勿論、拉致被害者の人数もまだ不確定と考えている
 この間の認識の差はあまりにも大きく、今後、どのように決着させるのか、その見通しは、全く立っていない。

 ▲政府認定の拉致被害者
 2007年2月の段階で、日本政府が拉致被害者と認定している人々は17名である。その人々の正確な情報を確定させることが、拉致問題解決の第1歩であるが、それすら日本と北朝鮮の間では合意されていない。
 そこでまず日本政府が認定している拉致被害者のリストを図表-5にあげる。

図表-5 日本政府が認定している拉致被害者(17人)のリスト
名前 生年 住所 拉致の時期 拉致の経緯 北朝鮮での生活
横田めぐみ 64.10.5 新潟県新潟市 77.11.15 新潟市内で工作員が学校から帰途の本人と会い、身辺の露出の危険性を感じ拉致した 77年11月から86年7月まで招待所で朝鮮語、現実研究、現実体験、86年8月結婚、93年3月ピョンヤンの予防院で精神病で死亡
田口八重子 55.8.10 埼玉県 78.6.29 工作員が身分盗用に利用する対象者を物色中、本人が3日程度の観光なら行きたいといった。 78年6月から84年10月まで招待所で朝鮮語の習得、現実研究、現実体験、84年10月原氏と結婚、86年まで家庭生活。86年7月夫の死後、精神的衝撃、86年7月交通事故で死亡
原敕晃 36.8.2 大阪市東成区 80.6.17 金儲けと病気治療のため海外行きを希望。工作員が本人の戸籍謄本を受け取る見返りに現金100万円と北朝鮮行きを密約。青島海岸から拉致。 80年6月から84年10月まで招待所で朝鮮語、現実研究、現実体験、84年10月9日、田口八重子と結婚。86年7月肝硬変で死亡。
石岡亨 57.6.29 札幌市豊平区 80.6.7 80年に欧州留学、スペインノマドリッドで松木薫と共に、特殊機関工作員の1人と接触、北朝鮮行きを進められ、同意。 機関の運営する学校で日本語教育。85年12月有本恵子と結婚。翌年、子供が生まれ、特別待遇と保護を受ける中、88年に故郷へ手紙を出す。88年11月、暖房用の石炭ガス中毒で家族全員死亡。
有本恵子 60.1.12 神戸市生田区 83.7.15 82年英国留学。特殊機関員と接触。北朝鮮行きを誘われる。 入国1年後から石岡亨とともに、特殊機関の学校で日本後教育。85年12月本人の意思で石岡と結婚。88年11月、石炭ガス中毒で死亡。
市川修一 54.10.27 鹿児島県鹿児島市 78.8.12 鹿児島県吹上キャンプ場から語学養成のため特殊機関工作員が拉致 78年8月から79年9月まで招待所にて朝鮮語、現実研究、現実体験。79年4月増本るみ子と結婚、79年9月4日元山海水浴場にて心臓麻痺で溺死
増本るみ子 53.11.1 鹿児島県鹿児島市 78.8.12 鹿児島県吹上浜キャンプ場から特殊機関工作員が語学養成のために拉致 78年8月から81年8月まで招待所で朝鮮語、現実研究、現実体験。79年4月市川修一と結婚、81年8月心臓病にて死亡。
松木薫 53.6.13 熊本県健軍 80.6.7 80年頃、語学取得のためスペイン滞在中、石岡亨と共に特殊機関が日本語教育のため北朝鮮入りを依頼。 特殊機関内の学校で日本後を教える。96年8月自動車事故で死亡。
曽我ひとみ 59.5.17 新潟県佐渡郡 78.8.12 特殊機関工作員が身分隠し、および語学教育の目的で日本人請負業者に依頼し引渡しを受け拉致 2年間、特殊機関の工作所において語学の学習、参観を通じて実情になれた。80年8月入北した元米兵と結婚。
曽我みよし   新潟県佐渡郡 78.8.12 特殊機関工作員が身分隠し、および語学教育の目的で日本人請負業者に依頼し引渡しを受け拉致 北朝鮮は、入国の事実を認めていない。
地村保志 55.6.4 福井県飯盛市 78.7.7 福井県小浜市で特殊工作員が語学養成のために拉致 78年7月浜本冨貴恵と結婚。
浜本冨貴恵 55.6.8 福井県小浜市 78.7.7 福井県小浜市で特殊工作員が語学養成のために拉致 78年7月地村保志と結婚
蓮池薫 57.9.29 新潟県柏崎市 78.7.31 柏崎市で特殊工作員が語学養成のために拉致 80年5月奥土祐木子と結婚
奥土祐木子 56.4.15 新潟県柏崎市 78.7.31 柏崎市で特殊工作員が語学養成のために拉致 80年5月蓮池薫と結婚
久米裕 25.2.17 石川県宇出津 77.8.19 特殊工作員が在日朝鮮人を使いガードマンをしていた久米に密貿易による金儲けを持ちかけ拉致。 北朝鮮は、入国の事実を認めていない。
松本京子   鳥取県 77.10.21 自宅から編み物教室へ行く途中で失踪。 北朝鮮は、入国の事実を認めていない。
田中実 49年 兵庫県 78.6.6 ラーメン屋の店員の田中を日本の非公開組織「洛東江」が海外旅行に誘い、ウィーン、モスクワを経由して北朝鮮に拉致。 北朝鮮からは入境が確認できないとしている。

 上掲の拉致被害者の人々は、次の3種類に分けられる。
  (1) 日本へ帰国できた人々 −2002年10月15日に帰国できた5人
    蓮池薫、奥土祐木子、地村保志、浜本冨貴恵、曽我ひとみ
  (2) 2002年9月17日の北朝鮮の発表で死亡したとされた人々−8人               
    横田めぐみ、有本恵子、石岡亨、松木薫、原敕晃、市川修一、増本るみ子、田口八重子
  (3) 北朝鮮が入国を確認できないとしている人々 −4人 
    曽我みよし、久米裕、松本京子、田中実

 (2)の死亡したと北朝鮮が発表した人々について、その後、生存している事を思わせる情報や死亡に対する不自然な記述が多数でてきている。
 そのため日本政府と家族会は、拉致被害者が生存しているものとして、北朝鮮に正確な情報の提示を求めている。

 (3)の入国を確認できない拉致被害者は、工作員により拉致されたことが明らかであるが、北朝鮮がそれを認めていない人々である。それは拉致の途中における工作員と受け入れ側の情報の受け渡しに問題が生じており、北朝鮮政府はその理由を明確にする必要があるにも拘らず、全く説明をしていない。

 ▲救う会が認定した24人の拉致被害者
 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)は、政府が認定した拉致被害者のほかに、図表-6に上げる7人の人々を拉致被害者に認定している。それらの人々については、北朝鮮は、当然、まだその「拉致」を認めていない。

図表-6 政府認定以外の7人の拉致被害者
名前 拉致時年齢 住所 拉致の時期 拉致の経緯 北朝鮮での生活
寺越昭二 35歳 石川県 63.5 石川県で寺越武志と叔父2人が漁船で漁に出ていて工作船により拉致される。「清丸事件」 拉致現場で殺害か?
寺越外雄 24歳 石川県 63.5 同上 在北朝鮮
寺越武志 13歳 石川県 63.5 同上 在北朝鮮
加藤久美子 22歳 福岡県北九州市 70.8 金正日政治軍事大學で横田めぐみと一緒にいたと見られる。
古川了子 18歳 千葉県市原市 73.7 工作員の安明進が、病院であったと証言
小住健蔵 45歳 東京 80 北朝鮮工作員朴は70年頃密入国し、東京のゴム製造会社に日本人名で就職。その後、小熊和也(46)、小住健蔵(51)の2人の実在する人物になりすまし、両人名義の旅券で9回渡航。朴は83年に出国後、行方不明。
福留貴美子 24歳   76.6 モンゴルへ行くといって羽田空港を出てから消息を絶つ。 よど号犯・岡本武と結婚。岡本と共に粛清?

●「拉致事件」を考える!
 現在、問題にされている「拉致事件」とは何か?を考えて見る。まず北朝鮮の論法では、日本政府が「拉致被害者」として北朝鮮に照会してきているのは17名である。従って「拉致事件」とは、17名の人々が北朝鮮に拉致された事件である。
 北朝鮮からすると、そのうちの5名は既に帰国させた。そして残りのうち、8名は既に死亡しており、4名は北朝鮮への入国が確認されていない。
 従って北朝鮮政府としては、日本政府が北朝鮮に照会してきた「拉致被害者」の状況をすべて明らかにしたので、「拉致問題」はこれで終了したとしている

 これに対して日本政府は、死亡とされた人々および入国が確認されていない人々についての北朝鮮の情報が極めて信頼性に乏しく、明確な論拠を示されていない。これらについて、納得の行く論拠が示されない限り、これらの人々は生きていると考えて、日本に帰国させるように北朝鮮に要求するしかない、としており、両者の言い分は全く平行線をたどっている。
 しかし拉致被害者は、これだけですべてなのか?という大きな問題が残されている。双方ともにまだそれについての見解を明らかにしていない

 拉致問題に関する日本の外交交渉の経過から見ると、最初に日本が出した拉致疑惑は、大韓航空機爆破事件の工作員を指導したとされる李恩恵に関する消息であった。これを日朝正常化交渉に出したとたんに交渉は決裂し、そのため1992年から2000年まで正常化交渉は中断された。
 そこで2002年の日朝首脳会談のときに、日本政府は現在の拉致被害者の情報が得られなければ、日朝正常化はないとする「強い態度」を示した。そのために、北朝鮮側は金正日が、一転して「拉致」を認め謝罪して一部を帰国させた。そして、これにより拉致問題は終了できると考えたと思われる。

 本来、「拉致問題」とは、北朝鮮により本人の意思に反して拉致された日本人が何人いるか?を確定するところから始まる性質のものである
 その最も重要な点が、全く不明確なまま論じられてきたところに、現在の「拉致問題」の最大の問題点がある。
 現在、韓国人の拉致被害者は400-500人にのぼるといわれており、日本人も100人ほどはあると思われている。しかし今なお、その概数すら把握されていない。

 日本人の「拉致問題」は、本来、拉致被害者の総数を確定することから始まるはずである。その意味では、日本の「拉致問題」は、まだ出発点にも達していない。しかしそれを推定しようとする努力は続けられており、以下でその状況を述べる。
 まず「救う会」が、図表-6に示す7名の拉致被害者を政府認定に加えて認定した。

 さらに2005年1月31日に、特定失踪者問題調査会が、北朝鮮に拉致された可能性の高い失踪者のリスト(=1000番台リスト)を発表した。
 そこには53-91年までに失踪した人々のうち、北朝鮮に拉致された可能性が高い日本人36名の名前があげられている。そのうちの3名は、政府、救う会と重複しているので、33名が追加されたことになる。つまり2007年春の段階で、拉致被害者の総数は57名となる

 上記の調査会の人々の失踪時期は、70年代以前の失踪者が11名、90年代の失踪者が1名含まれており、工作員による拉致以外の失踪者が含まれている可能性がある。またそこにもれている拉致被害者がいることも十分考えられる。それらを一刻も早く明らかにして、北朝鮮による拉致の実体を明らかにして欲しい。

 1971年7月8日、KCIA(韓国中央情報部)が、ベルリンを拠点に活躍していた韓国人の北朝鮮協力者を韓国に拉致する事件がおこった。拉致された人々の中に、世界的音楽家の尹伊桑などがいたことから社会的事件に発展した。
 この事件は西ドイツと韓国の外交問題に発展し、西ドイツは国際法上の慣例に基づき、事件前の状況への復帰を求めた。そして、もし韓国がそれに従がわない場合には、国交を断絶すると迫った。驚いた韓国の朴政権は、拉致した全員を西ドイツへ帰した。

 拉致事件は、国土に居住する人々の生命、財産をまもるという国家の最も重要な責任を他国が脅かした事件である。日本は西ドイツの事例を他山の石とすべきであろう。






 
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