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どこへ行く、日本
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1. 日本経済の行方

11. 迫る東京・横浜大地震 ―その世界経済への影響を考える!
12. 関東大震災を本格的に救援したアメリカ ―近づく東京・横浜大震災後の日米関係を考える!

13. 構造偽装マンション問題を考える
14. 「建築の品質」とその管理について
15.日本のIT革命(第1部) ―その経過とNTT
16.日本のIT革命(第2部) ―ソフトバンクとライブドア
17.「小泉改革」とは何だったのか? −(その1)特殊法人「道路公団」の改革
18.「小泉改革」とは何だったのか? −(その2)郵政民営化

19.原爆と原発について考える!
(1)日本への原爆投下 ―その責任はだれにある?
(2)原子力利用と日本人 ―ゆれ動く原子エネルギーへの期待
(3)日本の原発事故
(4)技術大国・日本の落日

20.公的年金制度の危機を考える −その暗澹たる未来!
21.ゼロ金利時代 ―金融失政の10年
 
 

19.原爆と原発について考える!

(1)日本への原爆投下 ―その責任はだれにある?
 2007年の自民党・安倍政権では閣僚の不祥事が相次いで起こり、農水大臣が自殺するという衝撃的な事件まで起こった。さらに、あろうことか被爆地・長崎の出身議員である久間防衛大臣は、アメリカによる日本への原爆投下を「しようのないことであった!」と講演会で発言して大問題になり、挙句の果てに大臣辞任に追い込まれる事件が起こった。
 
 それから暫らくして、民放の太田光のTV番組が、アメリカの原爆投下に日本は謝罪を要求しよう!というセンセーショナルなテーマを取り上げた。
 この微妙な問題に対して、会場では、当然、喧々諤々の議論になった。
 これらのことは戦後60年以上たっても原爆投下が、日本人の心の奥底に生々しく生きて続けている証拠であることを、つくづく感じさせるものとなった

 アメリカ人にとって日本の真珠湾攻撃が歴史から抹消しようのないトラウマであるように、日本人にとって広島、長崎へのアメリカによる原爆投下は、心の中に刺さった大きなトゲのように、今なお、その奥底に痛みを伴って存在している。
 真珠湾と広島・長崎の大きな違いは、前者の攻撃が軍事施設に限定されていたのに対して、アメリカの原爆投下は、罪のない女子供を含む一般市民を数十万人も殺害したことにある。それはまさにナチスのホロコースト(=ユダヤ人大虐殺)に匹敵する人類に対する犯罪であった

 アメリカでは、日本に対する原爆使用は、これによる急速な戦争終結により、本土決戦で予想された100万人を越える戦死者を出す事から救ったものとして、正当化されてきた。久間発言は、まさに、このアメリカ人の一般常識を受けたものといえる。

 しかしそこには重要な史実が隠されている。原爆投下は、ルーズベルト大統領とスチムソン陸軍次官による極秘の「マンハッタン計画」により進められたものであり、1945年4月にルーズベルト大統領が急逝したとき、副大統領のトルーマンでさえこの計画を知らなかったほどの秘密の計画であった。
 しかしこの極秘計画には、その実行が近づくにつれてアメリカの中でも、科学者たちをはじめ少なからぬ反対者が現われ始めたのである

 そのうちの有力な反対意見は、臨時委員会における海軍次官ジェームス・バードのそれであった。バードは、6月27日にマンハッタン計画の中心人物である陸軍長官スチムソンの補佐官ハリソンに手紙を送り、原爆投下に当たっては「日本にこの兵器についてのある程度の情報を与え、数日間の猶予期間を与えよと説いた」(ゴードントーマス、マックス・ミガン=ウイッツ「エノラ・ゲイ」TBSブリタニカ、307頁)

 もしこのバードの提言が採択されていれば、原爆投下による日本市民の虐殺は大幅に減少できたであろうと思われる。しかもそのことが戦争終結の日程に影響したとは考えられない。しかしこの貴重な提言は、冷徹な政治家であるトルーマン大統領により最終的に無視された

 アメリカが日本への予告を避けた理由には、若し爆発に失敗したときに代わりの爆弾があるわけではない。そのために、アメリカの軍事技術が笑いものになるおそれがあったことがあげられる。
 しかしその理由は、広島の場合には通じても、長崎への原爆投下には通用しない。
 日本への原爆投下は、アメリカの新兵器の日本人を使った人体実験であったと同時に、それにより新しくソ連に対する示威を意味していたと考えられる。
 このように考えると、この原爆投下はナチスによるホロコーストと同様に、数十万人の市民に対する故意の虐殺であったといえる。そして、その責任は冷徹な大統領であったトルーマンにある。そのことに対して、海軍次官は抗議の辞職?をしている。

 私の記憶では、極東裁判においてアメリカ人の弁護士が、この裁判が戦争に対する裁判であるならば、トルーマンも法廷で裁くべきだと発言して、日本人の弁護士を驚かしたことがあった。そのとき裁判長は、この法廷は連合国を裁く場ではないといって、その提言を却下した。しかし、トルーマンによる原爆投下の決定は、将に国際裁判の場で裁かれるべき重大な犯罪的事件であったと私は思う
 
 1945年8月6日午前8時16分、エノラ・ゲイから投下された原子爆弾は、広島の空に炸裂した。その中心温度は5000万度に達し、閃光の熱は1マイルの距離で火災を生じ、2マイルの距離で人々の皮膚を焼いた。そして当時、広島にいた32万人のうち、8万人が即死し、9万戸の建物のうち6万2千戸が破壊された。(「エノラ・ゲイ」440頁)

 アメリカの50年にわたる対日戦略である「オレンジ計画」を書いたエドワード・ミラーは、原爆投下について次のように書いている。「戦争の後、新しい解釈が生まれた。スチムソン(=陸軍長官)とチャーチル(=イギリス首相)は、原子爆弾は百万を越すであろう連合国側の犠牲を防いだと評した。トルーマンの回顧録には、50万人のアメリカ人の命が救われたのだと書かれている!」つまり、原爆投下がアメリカ人の犠牲を救ったという定説の出所は、スチムソンとチャーチルそしてトルーマンであった。

 「それにしても29万2000人ものアメリカ人が、第2次世界大戦の全ての戦域で既に死亡しているというのに、戦争を終わらせる唯一の手段としてそのような(=原爆投下による―荒木挿入)殺戮を容認する大統領がいるだろうか?」とミラーは書いている。
(エドワード・ミラー「オレンジ計画」新潮社、374頁)






 
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