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1. アメリカ経済の行方―ドル本位制の終焉
(1)ドル本位制から複本位制による変動相場の世界へ -日本経済はどうなる?
(2)第2次世界大戦後の国際経済体制(ブレトン・ウッズ体制)は、ドル本位制で作り出された
(3)アメリカの軍事支出増大によるドル危機
(4)ニクソンによる金・ドル交換性の停止―ブレトン・ウッズ体制の崩壊。
(5)レーガノミックスの登場
(6)レーガノミックスの結果―双子の赤字の増大
(7)プラザ合意とレーガンの新通商政策
(8)膨れ上がった日本の国際的経済規模―日本のバブル(株価・地価の暴騰)
(9)あふれ出した円と日米衝突
(10)80年代の日米経済関係―いらだつアメリカ、戸惑う日本
(11)クリントン政権の誕生―「変化」の時代へ。
(12)アメリカ経済の罪と罰

2. ヨーロッパ経済の行方
3. 中国の政治・経済の行方(1) −毛沢東とその時代
4. 中国の政治・経済の行方(2) −ケ小平とその時代
5. ロシアの政治・経済の行方(1)
6. アメリカ・イラク戦争 −中東と世界の行方
7. アジア経済の行方
8. 21世紀の世界はどこへ行く?
9. アメリカはどこへ行く?(その1)
10. アメリカはどこへ行く?(その2)
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  1.アメリカ経済の行方―ドル本位制の終焉
(1)ドル本位制から複本位制による変動相場の世界へ−日本経済はどうなる?

 20世紀末の20年の間、いろいろ問題を持ちつつもかなりの経済成長を維持して世界経済を支えてきたアメリカ経済が、21世紀に入って、かなり不況色が強くなってきている。
 そのアメリカの通貨であるドルは、半世紀にわたって世界で唯一の国際通貨として利用されてきたが、そのドルを支えるアメリカ経済が深刻な不況の様相を強めており、ドルの危機が世界経済の危機へ発展する懸念が強くなっている。

 第二次世界大戦の直後には、世界の金準備の6割がアメリカに集まっていた。そのことによりアメリカの通貨であるドルは、金によって担保されている最も安全な通貨であった。しかし1971年のニクソンの時代に金との交換性を失って以降は、アメリカの国家信用を背景にしたただの紙切れにすぎなくなっている。

この危なくなったドルに代わる国際通貨として、ヨーロッパは10年の歳月をかけて単一通貨を持つ努力してきた。これが1998年に発足した「ユーロ」であり、同時に欧州中央銀行制度も設立された。
 2004年には、共通通貨を持ったEU(欧州共同体)は、旧東欧諸国を含む24カ国に増えて、統一通貨ユーロが流通する経済面での「合衆国」となる予定である。

 21世紀初頭の世界経済は、この危ないドルを基軸通貨とした不安定な変動相場制から、「ドル」、「ユーロ」、その他の複数の国際通貨による複本位になろうとしている。
 1980年代の日本であれば、この複本位制の国際通貨の一つとして「円」が候補になったであろう。しかし世界一の負債を抱え、国際的に信用を失った現在の日本の「円」には、もはやそれは期待できないであろう。

 いま、国際経済の市場は、1日に1-2兆ドルの投機資金が動く危険な賭博場の性格をおびてきている。その1日の資金規模は、日本国の1年間の歳入の2倍から4倍の大きさである。このように巨大な投機資金が、複本位になると国際通貨の間で動くことになる。
 すでにドル本位制の下でも、97年のアジア経済危機はこのような投機的資金によって起こったし、古くは1987年のブラック・マンデーも、ドイツの金利上げによるアメリカから資金の引き上げによって引き起こされているほどである。

 複数の国際通貨ができて、しかも変動相場制がつづくとすれば、更に激しい投機によって国民経済の根幹が揺すぶられる恐れが出てきている。これが経済のグローバル化の本質であり、日本経済はきわめて危険な局面を迎えようとしている。

 このような世界経済の中で、従来、無能、無思想、無責任という「3無的」な官僚、政治家、財界人たちが仕切って、江戸時代の連続のような特異な状態を続けてきた日本経済はこれからどのようになっていくか?それを国際経済の視野に立って考えてみたい。

(2)第2次世界大戦後の国際経済体制(ブレトン・ウッズ体制)は、ドル本位制で作り出された。
 第2次世界大戦が終わったとき、世界の金・外貨準備の58.7%(1948年)、資本主義世界の工業生産の53.9%(1948年)がアメリカに集中し、資本主義世界の中でアメリカ経済が圧倒的優位を占めるようになっていた。そのために世界の富はアメリカに集中し、その他の資本主義諸国は戦後の復興に当たって、深刻なドル不足の悩まされたほどである。

 この豊かなアメリカ経済を背景にして、第2次世界大戦後の国際経済体制は豊富な金・外貨準備に支えられたアメリカのドル本位制により作り出された。
 その体制は、1944年7月、アメリカ東部のニューハンプシャー州のブレトン・ウッズで開かれた国際会議の名をとって「ブレトン・ウッズ体制」と呼ばれる。

 この会議では、1930年代に第一次世界大戦と世界恐慌により3分の1に狭隘化した国際市場の中で自国の優位を図るために、世界体制が崩れて、いくつかの保護主義的国家グループが形成され、それが第二次世界大戦の要因になった反省から行われた。
 新しい国際経済体制は、自由通商に基づく国際経済の発展を目指して、IMF(国際通貨基金)、GATT(関税と貿易に関する一般協定)という2本の柱により作られた。

 IMF(国際通貨基金)では、金を再び固定為替相場制の中核として、各国通貨の共通の尺度を定め、ドルが国際通貨として承認された。またその会議で、国際復興開発銀行(IBRD)の設立も合意された。
 またGATT(関税と貿易に関する一般協定)は、関税の引き下げ、数量制限の撤廃など、自由貿易の拡大を目指して作られた。

 戦後の10年間は世界中の富はアメリカに集中し、為替相場ではドル不足が続き、戦後10年をへた1957年においても、アメリカの金準備は外国中央銀行が保有するドル総量のほぼ3倍あったほどである。このような状況では、ほっておいてもアメリカの経済は輸出超過になるわけであり、自由貿易の推進がアメリカにとっても望ましいものであった。

 IMFは、ドルと各国通貨の交換比率を固定することにより、為替相場の変動のリスクを避けることが出来たし、GATTは自由貿易を拡大することで、多数の国からなる世界経済を単一経済と見なすことが出来た。
 このようにIMFとGATTは不可分の関係にあり、共にドル本位制の下でアメリカの利益に沿って作られたものであった。この体制下かで世界経済は、1960年代の末までは、かってない繁栄をしたわけであり、アメリカのねらいは十分成功していたといえる。

 この戦後のブレトン・ウッズ体制の恩恵を最も受けたのは日本である。1ドル=360円という割安レートに設定された為替相場と自由貿易の原則は、輸出主導の日本経済にとっては、非常に有難い制度であった。このおかげで日本は、戦前のように自国の防衛にお金をかけることなく、世界最大の市場であるアメリカへの輸出に専念し、戦前を越える高度成長を達成した。




 
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