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どこへ行く、世界
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1. アメリカ経済の行方―ドル本位制の終焉

11. 戦争ゲームを考える −フォン・ノイマン仮説の破綻

12. 21世紀の世界はどこへ行く?(その2)
(1)コンドラチェフ周期と大国の興亡

13. ロシアの政治・経済の行方(2) −ロシアにおける市場経済化の軌跡
14. 中国の政治・経済の行方(3) −ケ小平・21世紀の夢!
15. 大国インドの登場 −変貌する21世紀世界の勢力地図
16. 世界経済の興亡(1)(18-20世紀)−ポンドとドルの時代
17. 世界経済の興亡(2)(20-21世紀)−ドルの次の時代?
 
  12. 21世紀の世界はどこへ行く?(その2)

(1)コンドラチェフ周期と大国の興亡
●その視点
 ニコライ・ドミトリエビッチ・コンドラチェフ(1892-1938)は、小農経営論を提唱したチャヤネフの流れを汲んだ農業経済学者であり、同時に「英国恐慌史論」で有名なツガン・バラノフスキーの弟子として、景気循環論でも有名なロシアの経済学者である。

 彼の景気循環論は、工業製品と農産物価格の統計的分析を通じて50年という長い周期の「景気変動」を検出した。そしてそれによって資本主義経済の動態把握への道を開いたスケールの大きいものであった。彼の物価変動における50年周期の仮説は、1928年に「景気変動の大循環」という著書として発表され、モスクワで出版された。

 資本主義経済の動態を長期的視野に立って把握しようとした彼の思想は、「社会主義工業化」、「集団農業化」を強行してソビエト共産党内で覇権を確立しつつあったスターリン体制とは相容れなかったようである。
そのため、1931年に起こった「勤労農民党事件」によって逮捕され、1938年まで存命していたことは確認されているものの、収容所における彼の晩年は定かではない。この事件をめぐるコンドラチェフの逮捕の事情は、ソルジェニーチンの著書「収容所列島」の中にわずかに記載されている。

 コンドラチェフによる景気循環論の研究は、それが書かれたのが1928年であることから、その分析対象とした範囲が1789-1923年までにとどまっている。そこで本稿ではその範囲をその他の文献を利用して拡大し、超長期にわたる世界政治と経済の発展の中にコンドラチェフの景気変動を位置づけ、更にそれを基にして21世紀の前半期の世界を考えて見たいと考えた。

●「コンドラチェフの波」を拡大する
 コンドラチェフの研究は、1789年から1923年までの期間におけるイギリス、アメリカの工業製品と農産物価格,総合物価の変動に対し、最小自乗法により価格指数の傾向変動(不変の変動水準)を算定した。
 更にこの水準からの経験的系列の偏差を引き出し、まず9年間、次に5年間の移動平均により調整するという方法を採用することよって、この134年の間に2.5個の大循環があることを発見した。そこでの平均周期は54年になる。(中村丈夫編、「コンドラチェフ景気波動論」256頁)
 このコンドラチェフの波は、その後、いろいろな学者により、分析や対象範囲が拡大され、長いスパンの資本主義経済の変動に対する分析の視点をもたらした。ここでは、それらの文献のうちから、マルクス経済学者 エルンスト・マンデルの大著「後期資本主義」(1972)、そして1983年にパリで行われた長期経済波動に関する研究国際会議の成果を踏まえた市川泰治郎編「世界景気の長期波動」(1984)、更に比較的新しい立場からコンドラチェフの波に挑んだアメリカの経済学者 ブライアン・ペリーの「景気の長波と政治行動」(原著1991,邦訳1995)などの著書を参考にして、最新時点までの世界経済の長期波動とその特徴を次表にまとめてみた。

長期波動
傾向
動向の原因
1789-1814 上昇
利潤率増大
職人による機械生産、工業に対する農業の遅れ
原材料の価格騰貴、工業労働者の増加と賃金下落
世界市場の拡大
1814-1849 下降
利潤率停滞
イギリス、西欧の漸進主義的生産競争による利潤縮小
世界市場の拡大の減速
1849-1873 上昇
利潤率増大
全欧州で工業化と鉄道建設、機械生産の一般化
世界市場の大幅拡大
1873-1896 下降
利潤率低下
機械生産による超過利潤の終焉
設備投資増大による平均利潤率の低下
実質賃金上昇、資本輸出増大、原材料価格下落
資本蓄積増加、世界市場の停滞
1896-1920 上昇
利潤率上昇
植民地投資、帝国主義の大進展、原材料価格上昇
第二次技術革命、労働生産性、剰余価値率急上昇
資本蓄積急増、世界市場急拡大
1920-1950 下降
利潤率低下
第一次世界大戦の戦後大恐慌, ロシア革命
世界経済のブロック化、為替切下げ競争、第2次世界大戦、世界市場の分裂・縮小
1950-1970 上昇
利潤率増大
東西冷戦の激化、軍備競争と防衛産業の興隆、代理戦争の頻発、核兵器を中心にした軍事技術革命、EU共同体の形成、ドル本位制からの離脱、インフレ加熱
1970-1993? 下降
利潤率低下
石油ショック、世界経済の減速、金融資本の自由化、情報・通信・金融技術の革新、アメリカなどの債務危機の深刻化、アジア経済の興隆、国際的資本移動、世界経済のグローバル化の進行
資本主義、社会主義ともに行き詰まり
1993-2020? 上昇?
利潤率増大?
社会主義経済の崩壊による世界市場の拡大、中国経済の勃興、EU体制の発足、IT革命と世界金融市場の形成


●「コンドラチェフの波」と覇権国家の盛衰
 「コンドラチェフの波」は、特にそこでの覇権国家との関係は考えていない。しかし50年という長い経済の波動は、国家の盛衰と大きなかかわりを持つと考えられる。 
 そこでコンドラチェフの波よりも更に長い波動を持つと思われる世界の覇権国家の盛衰との関係を調べてみる。

 1987年にポール・ケネディの大著「大国の興亡」がアメリカで出版され、日本でも翌年に翻訳が出版された。そこで語られている大国の覇権をコンドラチェフの波の上に乗せてみると、非常に面白い長期的な歴史の波動が見えてくる。
 
 ケネディは、近代の出発点を1500年に置いている。ケネディによれば、それまでの前近代において世界で最も優位を誇っていた大国は、ヨーロッパにはなく明王朝の中国であった。つまり1500年以前の世界の大国は、なんと、アジアの中国であった

 このアジアの大国に代わって、世界に覇権をもたらしたのは、スペイン、オーストリアを支配したハプスブルグ家であり、その支配は1519-1659年の1世紀半の間続いた。しかし17世紀の初頭には、オランダが登場するため、ハプスブルグ王朝のスペインが、覇権国家になったのは、16世紀の約百年弱であった
 オランダは、ハプスブルグ帝国支配の末期の1575年ころから急速にヨーロッパで勢力を拡大した。オランダは、それまではハプスブルグ家のスペインの支配下にあったが、1568年、新教徒弾圧に端を発した独立戦争を通じてスペインから独立した。
 オランダにとって、独立戦争の戦費負担は大変であったが、1581年には、スペインからの独立を宣言し、1590年ころからオランダ経済は急成長し1648年のウエストファリア条約により完全に独立を達成した。

 スペインのハプスブルグ家からの独立を達成した17世紀は、オランダにとっての黄金時代となった。オランダは共和制による海洋国家として発展し、ヨーロッパの海上輸送の殆どを握るほどになった。1602年に設立された東インド会社による植民地経営を確立し、1605年にオランダはモルッカ諸島の香料貿易をポルトガルから奪取して、港町・アムステルダムはバルト海、地中海に更に東インド貿易をつなぐ中継貿易港となり、アジアでは鎖国している日本の唯一の貿易国となるほどに発展した。

 しかし1652-1667年の英蘭戦争のころから、1世紀半にわたってヨーロッパは、列国間の国際紛争の時代に突入した。その中で、1714年にスペイン継承戦争が終わり、世界の覇権はオランダからイギリスに移った。そのように見てくると、オランダが覇権を握った期間は、1575-1672年の約百年であった
 
 オランダに続いて世界の覇権国家となったのはフランスとイギリスであった。イギリスではクロムウェルが、フランスではコルベールが重商主義政策をとり、オランダの商業や運送業に打撃を与えた。特にフランスのルイ14世は、1660年代から陸伝いにオランダを攻撃した。ルイ14世は、陸軍を増強し、その兵力を1659年の3万人から、1710年には35万人まで拡大した。
 フランスは、18世紀を通じて、西ヨーロッパにおける軍事、外交政策において大きな成果を挙げ、アンシャン・レジームの時代を通じてヨーロッパ最強の地位にのし上った。

 フランスに続いて、イギリスが世界第一の海洋帝国の地位に上がったのは、18世紀初頭のスペイン継承戦争と18世紀中葉のオーストリア継承戦争のころからである
 これらの戦争を通じて、イギリスは、オランダ、フランスを圧倒し、世界一の覇権国家の地位についた。その意味で、18世紀前半期を代表する覇権国家がフランスで、18世紀後期から19世紀を代表する覇権国家はイギリスになる。
 
 ポール・ケネディによると、1900年には、イギリスは一見したところ堂々たる大国であったものの、すでに1870年以降、世界の勢力のバランスは、イギリスの力を侵食する方向に動いていた。(邦訳、上巻、340頁)
 そして19世紀末には、イギリスの生産性は下がり、競争力は落ち、確実に覇権国の地位から滑り落ちていた。その意味では、イギリスの覇権国家としての期間は、1798−1800年の対仏同盟戦争から始まり、1900年に没落していたわけであり、その間の約百年である

 ポール・ケネディは、世界政治の上でロシア帝国の興隆とアメリカのそれが平行して起こったとする見解を紹介している。ロシアは、革命により政治体制が変わり社会主義のソ連になったが、20世紀を通じて世界の覇権を争った大国は、アメリカとロシアの2国であったと考えることができる。

 ソ連は、1991年に崩壊し、21世紀の現在、アメリカは世界の覇権国家として唯一勝利を収めたように見えるものの、今ではアメリカの国家的衰退は目を覆うばかりの状態にある。
 21世紀の覇権国家としての必要要件は、まず経済力であるが、アメリカの国家財政、貿易、経常収支ともに、巨大な赤字を毎年、更新しており、現在のアメリカにはもはやその要件を満たす能力はない。

 ではどこの国が21世紀の覇権国家になるのか? それをコンドラチェフ周期との関連から考えてみるのが次の課題になる。

●21世紀の覇権国家はどこになるのか?
 18世紀末から20世紀にかけて、世界の覇権国家とコンドラチェフ周期との関係を整理してみると下表になる。

覇権国家
コンドラチェフの波
資本主義の性格
状 況
イギリス 第1波 1789-1849
第2波 1849-1896
産業資本主義
同上
工場段階の産業革命
鉄道、電気、重工業
アメリカ
ソ連
第3波 1896-1950
第4波 1950-1993
独占資本主義
国家独占資本主義
革命、世界大戦、大恐慌
産軍複合体と代理戦争

第5波 1993-2050
第6波 2050-2090
国際金融資本主義
資本の情報化、国際化
資本の無国籍化?



 コンドラチェフの波から見ると、20世紀末から21世紀の初頭にかけて、世界資本主義は第5波のサイクルへ入る。この段階で20世紀末に下降していた物価や経済活動は、2020年ころにかけて一斉に上昇傾向に転じることが考えられる。
 すでに原油価格は、史上最高値を記録し始めており、それに伴い諸物価も高騰の兆しを見せ始めており、その予兆は十分にある。
 アメリカでは、現在のブッシュ政権になったときから、毎年、巨額の財政赤字、貿易赤字,経常赤字を更新している。そのため、通常の国家であればとっくに国家破産する状態にあるにも拘らず、「ドル」がまだ国際通貨に位置づけられていること、またアメリカ以外の資本主義諸国や国際的な投機筋が、急速なドルの下落を避けたいと考えていること、更に、巨額赤字を重ねるアメリカ国債を日本、中国などが今なお購入を続けていることなどから、ドルの「国際価値」は依然として実力以上の高い水準を維持している。
 そのため財政危機の当事国であるアメリカ自体は、国際的な資金決済に全く困らないという不思議な事態が続いている。

 1971年8月15日にニクソン大統領が、ドルの金との交換停止を発表して以来、ドルは「もの」対する価値尺度の機能を失っている。
 現在のドルは、アメリカという国家信用を背景にしたただの紙切れにすぎないし、更に、最近の電子マネーにいたっては、もはや紙切れでもなく、回線上の電子情報でしかなくなってきている。
 それにもかかわらず、このドルは、毎日、1兆ドルから2兆ドルという国家を一挙に壊滅させるほどの巨大な規模で世界中を駆け巡っている

 この中で、20世紀に社会主義、資本主義という2つの経済圏に分裂して縮小していた資本市場は、社会主義の崩壊により統一された巨大市場となった。その一方では、この巨大資本市場の質的内容は、危険な闇市場が背景に広がる粗悪なものに変貌してきている
 その状況のなかで、21世紀の世界経済は、20世紀末の下降、ないしは停滞局面から、約20数年をかけての上昇局面を迎えようとしている。

 おそらくこれからの20年間に、21世紀の世界経済をリードする覇権国家がその姿を現すと思われる。いったいどこの国がそこに登場するのか?それが大問題である。
 いまのところ3つのシナリオが存在するように思われる。

 その第一は、国家財政は既に危機的状態にあるものの、軍事力においては現段階でダントツの優位を占めるアメリカが、このあと20年間は覇権国家の位置を占める、というものである。その間にアメリカに代わる覇権国家が登場して、2020年から2050年にかけての世界経済の下降段階に入ったところで勢力交代がおこる、ということになる。

 第二は、現在、既にアメリカをしのぐ経済規模になってきているEUが、21世紀の覇権国家として登場するというものである。既に、EU憲法の制定、EUの大統領の選出も考えられており、可能性は十分にある。
 EUそのものは、危機的状態にあるアメリカが今後も世界の覇権国家になる危険性を回避するために創設されたことは明らかであるが、EUを一つの統一国家にするためには、EU内部の強い結束が今ひとつ不足している。
 そのためEUが一つの総合された強い覇権国家になるためには、組織として結束するための大きな動機付けが必要になると思われる。
 その動機として一つ考えられるものは、アメリカ発の大金融恐慌の勃発であり、その可能性はかなり高い。

 第三は、中国がアメリカをしのぐ覇権国家として登場することである。これには大きな障害が2つある。その第一は、現代中国における共産党の一党支配下の資本主義経済体制は、どうしても制度的に無理があることである。
 中国が21世紀の覇権国家として確立するためには、中国が現在の共産党の一党支配から脱皮する必要があるが、現状ではその道筋が非常に見えにくい。

 第二の問題は、アメリカと中国との関係である。アメリカの政権は常に自分を脅かす敵をつくることで、その存在意義を確立してきた。
 先祖が同じで、宗教もキリスト教であるEUが覇権国家として現われた場合であっても、アメリカには抵抗があると思われるが、ヨーロッパをアメリカの敵として認識するほどの異質性はないと思われる。

 しかし中国が覇権国家として登場した場合、アメリカは完全に中国を敵として認識するであろう。中国が世界の覇権国家として進出することは、アメリカにとっては朝鮮戦争以来の悪夢である。それは確実に米中戦争に発展する危険性を持つほどの重大事件になると思われる。

 そのほかにもシナリオが考えられないわけではないが、私が可能性の高いと考えたのは上記の3つである。アメリカは、自国の経済危機を表面化させないために、東西冷戦とか共産主義との戦い、更に、テロとの戦いなど、常に敵を作って、国民のみならず、世界の人々の目をアメリカの経済実態から違う方向に向けるように努めてきた。

 しかしそのたびにアメリカの国家的規模での経済危機は、その深刻さを増してきている。早ければ2005年秋、第二期ブッシュ政権の発足と同時にアメリカは、深刻な経済・金融危機を経験するであろうことが考えられる。
 その中で、上記のシナリオのいずれか、ないしは全く新しいシナリオが明らかになるであろう。




 
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