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年月日   内  容
2018.9.13   日本人と死後世界の全ページを掲載しました。
2010.8.17   日本人と死後世界に、 「3.来世への生き方」を掲載しました。
2010.3.7   日本人と死後世界に、 「2.日本人の死後世界」を掲載しました。
2009.11.3   日本人と死後世界に、 「1.仏教における浄土への転生」を掲載しました。
2008.5.4   題名のないページに、次の2テーマを掲載しました。
「13.陽明学を体系的に理論化した?西田哲学」
難解な言葉で書かれた西田哲学が、何故か太平洋戦争の末期から戦後にかけて日本の若者に非常によく読まれました。それは文学における漱石に匹敵するほどでした。その理由を考えてみました。
そこでは、個人の人格を無視した国家の歩みの中で、若い命をかけることを余儀なくされた若者の心に投げかけられた、難解な言葉の裏の暗号にも似たメッセージではなかったかと考えました。その一つが善の研究であり、今一つが絶対矛盾的自己同一という思想ではなかったか!と思うのです。そのような観点からの西田哲学論を述べています。
「14.明治の新思想 ―儒学からキリスト教へ 」
明治の文明開化の新思想とは何かを考えてみました。実は、明治政府は初期には復古的な平田派神学の影響もありましたが、その後は徳川幕府の時代の儒教と西欧思想の間をゆれ動いていました。西欧思想はキリスト教を除外しては考えられないのですが、明治政府は表向きはともかく、実体はキリスト教に対して微妙な関係を維持していました。そして一方の儒教に対しては、古い遺物として表向き距離を置きながら、「忠孝」で代表される日本的儒教を思想の軸組みにしたことはご承知のとおりです。
その間の歩みを、陽明学とキリスト教に題材をとり考えてみました。
2008.4.6   題名のないページに、次の2テーマを掲載します。
「11.仏教伝来のナゾ」
「仏教伝来」は、高校の日本史で必ず勉強します。戦前には「日本書紀」により紀元1212年(西暦552年)に伝来したとされました。戦後の定説では「上宮聖徳法王帝説」などにより、538年に渡来したことに変りました。しかし「扶桑略記」によれば、522年には既に伝来していました。何故、このように仏教伝来の年に大きなバラツキがあるのか? そして仏教伝来とは一体なにであるのか?考えて見ました。
「12.インド仏教の成立」
岩波文庫から出ている「ブッダの言葉」という本が、外国勤務に出発する企業の社員たちによく読まれていると聞きました。日本人は、子供のころから家庭の仏事を通して仏教と密接に共存しているのに、その創始者のブッダについて聞かれても、あまり知りません。お葬式や法事で、お経は何度もきかされているのに、その内容をすぐ答えられる人は殆どいないでしょう。外国勤務になるとき、そのことに初めて気がついて、文庫本を携帯するのでしょうか? 日本人にとって、このような仏教とは一体何なのか? 考えてみました。
2008.3.16   題名のないページに、次の2テーマを掲載します。
「9.陽明学と伝習録」
朱子学は、元、明代を通じて不幸にして官学に位置づけられたため、その理論を冷静に検討するよりは、官吏の試験に合格するための理論に転化し、形式化ばかりが進行しました。そのため朱子学の問題点は、特に実践面に現れます。
この実践面から朱子学の問題点を明らかにして、新しい儒学を確立したのが王陽明であり、その学説を記述した「伝習録」を取り上げました。
「10.東洋医学と黄帝内経素問」
中国最古の医学書である黄帝内経素問をとりあげました。日本には中国医学の長い歴史がありますが、明治以降の西洋医学により日陰の存在になり、さらに戦後は抗生物質の普及により、漢方の影は更に薄くなりました。
しかし西洋医学における極度の細分化や副作用の拡大により、最近は日本でも40%の医師は漢方に関心を持ち始めたといわれます。ここでは黄帝内経素問を題材に、陰陽五行をベースにした漢方の思想を、出来る限り分かりやすく紹介することに務めました。
2008.2.11   題名のないページに、次の2テーマを掲載します。
「7.四書五経の形成 ―新儒学への展開 」
「経」とは儒学の聖典、「書」は参考書を意味します。1月の孔孟思想で書いたように、儒学は孔孟の学ですから、儒学の経典は「論語」と普通は思います。しかし驚くべきことには、論語は儒学を勉強するための参考書の一つにすぎません。 つまり儒学の壮大な学問体系は、2500年前の孔子の時代から始まり、1000年という年月をかけて、12世紀の宋代に朱子により「四書五経」として纏められたわけです。 その粗筋をまとめてみました。新しい知に至ることがあると思います。
「8.朱子学と近思録」
「朱子学」は、不幸にして中国でも日本でも官学に位置づけられました。朱子の提起した理論は、その領域の広さと深さにおいて、恐らく孔子に匹敵するものであったと私は思います。 しかしその理論が、「官学」に組み込まれ、制度、形式、思想が固定化した理論に矮小化されたことが、不幸なことであったと私は思います。もっと自由な学問として朱子学が提起されていれば、中国のルネッサンスは朱子から始まったと私には思われます。 その意味で、近思録の最も重要な部分を原文に即して読んでみました。
2008.1.5   題名のないページに、中国古典の新シリーズを掲載します。
「5.孔孟思想は21世紀に生きられるのか?」
孔孟思想は、今から2千数百年も前の古い話です。当時の中国は春秋、戦国時代と呼ばれた戦乱の時代で、絶えず小王国の間の紛争が続いていました。その状況は、20-21世紀の世界に驚くほど類似しており、その国際紛争に対して相談を求められる孔子、孟子の思想は、現代にドッキリするような示唆を与えてくれます。
「6.秦帝国と呂氏春秋」
この古代中国の戦乱の世に終止符を打ったのは、辺境の地に勃興した秦の始皇帝です。始皇帝は、文化面では焚書坑儒といった文化大革命で悪評も高い皇帝ですが、一方で古代の百科全書というべき呂氏春秋という、文化面の万里の長城建設に匹敵する仕事をしています。そこで今まであまり読まれていない呂氏春秋の一部を、読んでみたいと思います。


 
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