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(3)公的年金制度のナゾ ―なぜ日本は「賦課方式」に切り替えたのか?

 日本の公的年金制度が危機を迎えた原因は、急激な高齢化の進行にあると通常は説明されている。しかしこの一見して尤もな説明は、よく考えてみると非常におかしい。それは1人の人間について考えて見るとよく分かる。

 現在、日本では20歳になると国民年金に強制加入させられる。さらに、サラリーマンになると、自動的に厚生年金に強制加入させられ、65歳になるまで強制的に保険料を納付させられる。
 この間、標準的なサラリーマンが、20歳から65歳までの45年間に国民年金、厚生年金保険に支払う保険料の合計額は、それに政府や企業の負担分が加算され、さらに現在価値で換算してみると、その年金原資の元利合計は1千万円を超えるであろう。

 その年金原資は、45年間はひたすらに増え続ける。そして65歳に年金受給者となったとき、初めて給付金として年金原資がとり崩されることになる。この年金原資の対象者は7千万人いるので、仮に原資の平均額を千数百万円とすると、年金原資の総額は800兆円ほどの巨額になるはずである。ところが残念ながら、このストックによる年金会計の収支の実体は全く分からないのである

 本来、「年金会計」は、800兆円というストックの収支計算として行なわれるべきものであった。その上に立って、フローの収支計算も必要であることはいうまでもない。しかし日本の公的年金制度においては、このストックの収支計算が全く公開されていない。そしてその代わりに、毎年の年金保険料と年金給付金というフローの差引き計算の結果のみが公表されている。
 このようなフロー計算では、保険金を支払うだけの若い人々が多いときは、年金会計は、当然、黒字になるが、高齢化率がすすむと、逆に赤字になるのも当然である。それはまさに「ねずみ講」の構造と同じである。
 
 このような年金原資の元利合計をベースにした年金支払い方式を「積立方式」といい、また年金原資とは別の原理で年金額を決定して支給する方式を「賦課方式」と呼ぶ。日本の年金制度では、従来、「積立方式」を採用してきたのに、1985年の年金制度の改正以降、「賦課方式」に変更されたといわれる。

 1985年といえば、既に日本の国家財政は深刻な危機を迎えていた。このような時期に、何故、日本の年金制度は、「ねずみ講」のように破綻が明らかな「賦課方式」に切り替えられたのであろうか? これが私にとっては公的年金制度における最大のナゾであった。
 1985年は、中曽根政権が丁度、後半期に入る時期である。この内閣の事跡は、「中曽根内閣史」(全4巻)という大著に詳細に記載されているが、この年金問題については、中曽根内閣が直接かかわったかどうかはっきりしない、と書かれている(第1巻、499頁)。

 それより10年前の1973年、田中内閣における年金制度の改正により、大幅な給付水準の引き上げが行われた。その結果、60歳から年金支給を開始すると、高齢化が進む2010年頃には、年金水準が可処分所得を上まわるおそれがあるとする危惧があったと、同書には書かれている。

 そのため第2臨調の一環として、厚生省を中心として年金改革の計画が進められた。その結果が85年の「賦課方式」への切り替えに進んだのであろうか?
 その時期の、厚生省の関係者の名前をあげると、図表-7のようになる。

図表-7 1980年代はじめの厚生省人事
西暦 厚生大臣 厚生事務次官 社会保険庁長官 保険局長 年金局長
1982年 林義郎     吉村 仁 山口新一郎
1983年 渡部恒三     吉村 仁 山口新一郎
1984年 増岡博之 吉村 仁     山口新一郎
1985年 今井勇 吉村 仁     吉原健二?
1986年 斉藤十郎 吉村 仁 吉原健二    
1987年 藤本孝雄 吉村 仁 吉原健二    
1988年 小泉純一郎 吉原健二      

 図表-7に示すように、当時の年金制度設計のキーマンは、山口新一郎、吉村仁、吉原健二の3氏と思われる。
 山口新一郎、吉村 仁の両氏は、第2臨調(=有名な「土光臨調」)において、福祉削減のイニシアを取った人物である。吉村 仁氏は、田中内閣のとき、医療費削減を田中首相に直接提言するため、車のトランクに隠れて田中邸に侵入したという武勇伝で知られている。
 また山口新一郎氏は、「年金の鬼」と呼ばれ、公的年金の一元化の道筋をつけた年金改革の原点に位置する人物である。どちらもその志なかばで、ガンで亡くなった。

 第三の吉原健二氏は、大著「わが国の公的年金制度 ―その生い立ちと歩み」(中央法規)を著し、日本の公的年金制度の歩みを詳しく述べている。
 しかし残念ながら、私が疑問としている点については全く触れられていない。

 そこで以下に、私見を述べてみる。
 2000年の段階において、日本の公的年金の積立金=負債総額は、約800兆円と仮定してみる。それに対する利子を年率5%とすると40兆円になる。その額は、丁度、公的年金の給付費総額の約40兆円に対応している。
 つまり800兆円の負債は、年率5%のファンドに投資されていれば、原資を取り崩さずに年金の給付費を賄えることになる。

 そのような前提条件を満たせば、21世紀の日本の年金計画は、図表-3に共済年金の原資を加えた200兆円程度のフローによる計画だけで、十分にやりくりできることになる。ところが具体的に、日本の公的年金制度についてみたとき、800兆円の負債総額に対する資産勘定の実体が全く情報公開されていないため、その実体がどのようになっているのか?全く不明である。

 つまり従来、財政投融資で投資してきたもの、自主運営資金で建築したグリーンピアなどを含む貸借対照表と損益計算書の作成が、今後の年金計画の出発点としてどうしても必要・不可欠になる。このような中小企業でも毎年、作成している財務諸表が、日本の公的機関において作成されなかったことは、怠慢を通り越して、むしろ犯罪的な臭いさえする。
 黒字経営と思われていた道路公団も、民営化にあたり、初めて民間の基準に合わせた財務諸表を作成してみたら、その債務超過が明らかになり、既に赤字経営に突入している事が分かった。

 2007年7月の参議院選挙は、公的年金の信頼性の失墜により、自民党は歴史的敗北を喫し、代わって民主党が第1党に進出した。そこで民主党は、従来、年金会計のデータの提出を要求しても拒否されてきた事に対して、今後、第1党として国政調査権を発動して、年金会計の秘密情報の開示を求めるといわれる。
 その結果に期待したいと考える。考えてみると、日本の将来に関る重要な情報が、今まではあまりにも闇の中に封じこめられてきていた。
 吉原氏の年金制度に関する大著を見ても、特にストックに関する財務的な情報が、決定的に欠如している事を感じる。それが偶然なのか、故意なのか?はよく分からない。
 もし故意に隠されているとすれば、それは犯罪である、と私は思う。






 
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