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(4)これ以上考えるのが、ばかばかしくなってきた!

 私は、1985年の既に日本国の老齢化が進行しはじめた年に、「積立て方式」から「賦課方式」に変更した理由を、本稿で調べ始めた。「積立て方式」により日本の公的年金の財務会計を理論的に作り上げる事は、国民年金、厚生年金、共済年金が、それぞれ歴史的に異なる基盤の元に作り上げられてきたため、実務的には容易な事ではない。
 それに比べると、「賦課方式」による立案は、毎年の予算制度と同じように、そのつど手直ししていけば良いので非常に簡単である。

 つまり年金制度の改定は、国家百年の運命に関る重大なものであるにも拘らず、調べていくと、それほど重大に考えて年金会計の方式を改定した形跡が全くない。
 どうも「賦課方式」の方が、立案も改定も事務的に簡単にできる。つまり「積立て方式」の場合、極端に言えば、7千万人の年金台帳を基礎データとして、制度の立案・改定に結び付けていく必要があるが、「賦課方式」ではそのような必要はない。

 2004年の年金法改正のとき、公明党の坂口厚生労働大臣は、「100年安心」の年金制度の改正が出来たといわれた。ところが、それからわずか3年で、年金制度の不手際は全国民の知るところとなり、社会保険庁が解体されるという危機的事態になった。
 つまり日本の公的年金制度は、100年安心の歴史的なデータを基にして積み上げられたものではなく、意外に事務的な対応のしやすさにより、制度設計がなされている事が分かってきた。

 年金制度が危機的な状態になってきたときに、なぜ「積立て方式」から「賦課方式」に切り替えたのであろうか?大真面目に考えていた私は、これ以上、真面目に年金問題を考えるのが、ばかばかしくなってきた。
                      
 20歳以上の日本国民は国民皆保険制度により、すべて強制的に国民年金の制度に加入させられる。そして企業に入れば厚生年金など、社会保険料は毎月の給料から強制的に差し引かれる。
 ところが年金を支払う国のほうは、国民から年金の受給申請の手続きがなされなけれない限り、年金を個人に支払う義務がないのである。これくらい一方的な「片務契約」は存在しないであろう。いや、実はそこには「保険契約」など存在しなかったのである。

 国民が20歳から65歳まで営々として働いて積み立てきた年金原資は、本来はこの個人に対する日本国の債務、つまり「国の借金」である。
 この基本的な考えが厚生省にかかわる役人や政治家には完全に欠如していた。社会保険庁の続発する不祥事の源はここに発している。アメリカの場合は、毎年、個人宛に本人が支払った社会保険料の総額と受け取ることが出来る年金額が、本人あてに送付されてくるといわれている。これが「契約」の考え方である。

 若し日本の公的年金にこのような契約思想があれば、保険料の納付者と年金の支払い先が5000万人も不整合になることは、絶対に起こりえなかったといえる。
 日本の高度成長期において、保険料の納付者があふれ、年金受給者は数十年先からはじめて出てくる状況の中で、納付された保険料は国の借金ではなく、処分勝手となればどのような状況になるか、その結果は想像に余りある。
 いま、日本国民は、その驚くべき時代のつけを払わされようとしている。若い人々が、年金制度についてよく知らないのに、支払いを拒否し始めているのは、最早この制度が根本的に維持できないことを本能的に知ったことにあると私は思う。

 私は、年金受給者の立場にある1人であるが、この「ねずみ講」のような欺瞞的な年金制度は一刻も早く終止符を打ち、真に国民のためになる制度として全面的に再発足したほうが良いと考える。
 その場合、年金行政の所管は厚生労働省から完全にはずして、完全に民営化したほうが国民のためになると考える






 
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